不幸な選択

前提

世界の中心は言うまでもなく自分である。もし三人称の視点で己を見ているなら教えてくれ、という意味合いである。

以前noteに、「自分は最終1位を目指せるほど強く無い」と書いた。こうなったのは自分がそういう選択肢を取ったから。最終1位を目指したいなら目指す選択肢を取るべきだ。

 

不幸を自称する

「私は不幸な人間だ」と自称するのは自身で「不幸な人間である選択肢」を選んでいるからだ。幸福になりたいなら幸福になる選択肢を取るべきだ。

己は己によって定義される。そしてこの世の全ては己によって定義される。リンゴは下に落ちたと認識した人間を認識するのは己であるからだ。それぞれの観測者はたしかにいるが、その観測者はどう捉えるかは自分次第である。といった考え方。

 

不幸な人間とは

この世の不幸な人間は不幸な方が都合が良いから不幸でいる。歯医者の待ち時間が長いのは歯磨きをサボったからか待ち時間が長い歯医者を選んだからだ。

僕は運が良いし、誰にもやりたいことを邪魔されない幸せな日々を送っている。誰かに嫌われることもあるけどそれは僕が誰かに嫌われる選択肢を取っているからだ。相手が僕を嫌ってるのではなく、僕が取る選択肢が相手に嫌わせているだけだ。

不都合な事実にいつまでも囚われていてはそれは不都合な環境に身を置く選択を自ら取っている訳だし、不都合な人間が近くにいるなら消すなり離れるなりすれば良い。ただし、その選択は相手も取れることを忘れては行けない。

 

幸せな選択

この世の不利益は全て当人の能力不足が原因。ではなく、望んで当人が選んでいることでもある。

意思や予想に反する結果が出るということはそうそう無い。それか、後から妥当な結果だったと納得できるものがほとんどだったりする。

幸せになりたいなら幸せになれば良い。