今のオフと昔のオフ

人間は人間にしかついていかない

 

多分コレはかなり確信的な部分であり、未だにギャップを感じている人がいる部分。

偶像崇拝と聖像崇拝の話かもしれない

偶像崇拝

偶像や偶像的なものを宗教的対象として重んじ崇拝すること。

ここらへんの勉強をしてるオフ主催ってあんまりいない気がする。した所で役に立つかは分からないけど、僕にはこの感覚がずっとあった。

 

そもそも人間は人間を信じるか信じないかで生きている。水は液体、くらいのことではある。それが行き過ぎれば事件は起こるし、全くないと孤立する。人は程々に信じるくらいが丁度いい。

結論、昔のポケモンオフは主催が崇拝対象だった。というかキツネさんが崇拝対象で、それが他イベントのモデルになった。キツネさんに憧れ、自分でも模倣をしたくイベントを開く。「自分がやりたいことをやる」と、言ってもその本質は本人が今までに触れたものからしか生まれない。もしくは「意図」と「既存」をマージさせたものが生まれる。

この点、僕は僕自身を崇拝対象にはしなかった。崇拝対象にしたのは、バンビー、じる、むくれねこ、Adams等々の俗に言う強者たち。僕は「彼ら」と「彼らに挑む人」と戦いたいからBattleFrontierを企画した(というか、ハイレベルなスイスドロー大会をやりたいよねーってのを言語化した一部がこれになるという表現が正しい)

でも当時僕と一緒に主催をしたちょくるさんもポケモンオフにはある程度参加していた人物ではある。なのになぜ既存のオフ大会の枠組みに縛られなかったかというと、これは恐らく「オフを開催しようと2人で結託した場所が、RAGE-shadow verse-の会場だった」から。無意識のうちに崇拝対象を主催ではなくて別の何かに移り変わる意図があったはず。

 

この崇拝対象を明確に設定できてないオフ、というかイベントはおそらく上手く行っていない。Hazeはおそらくこれが明確にある。自己顕示欲や承認欲求が強い人間がオフをやると何故か上手くいくのはこれが理由だから。

 

葉桜杯も動き出しはあやふやだったが、次第に崇拝対象を明確にした。「解説枠と優勝者」を崇拝対象に据えた。(解説者の一番の仕事は良いプレイを褒めて解説すること)

ポケリーグの崇拝対象は間違いなくあの3人。だから形になった。というかした。というかそらなるわな。いくら運営の連携がミスっても、外野から最終的にはまとまりがよく見えるのはこれが要因。崇拝対象を明確に設定していたから構造が分かりやすい。

 

新規のオフが出てこないのは軸を何にすればいいかを見失いやすいから?崇拝対象がイベントごとにバラバラで見えてこないから?

イベントに参加しない人間が何故かイベント運営が上手くできないのは「崇拝経験」が無いから?参加しててもこれが無ければ失敗する?

 

優勝者インタビューは無い方がいいという意見が散見されるが、個人的には競技性を求める大会なら有り得ないと考える。

 

オフに限らず、そのイベントは何を崇拝しているか、何を崇拝対象にしているかを定めるのが成功の前提条件なんじゃないすかってふと思いついた。

考え事をする時って↑の事が1秒経たずに組み上がるから人間の脳ってすごい。