僕自身マジでキレない。不愉快だなーって思ったら「やめてね」とか、正気を疑う行動をされたら「自分で何してるか分かってるんすか?」とかは言う事があるけど、なんかだいたい一回で相手が理解してくれるから怒鳴って相手を威圧したり*1、暴力を振るったり*2、Twitterで自分怒ってますアピールをすることも無い*3。
・関係なさそうで関係ある話
で、ここ最近「きおすの言葉使いが変だから該当する言葉を使わないでくれ」という要求を多方面から受け(ある日突然一気に)、無理やりやめようとしたら本当に何も喋れなくなったりとか、それに伴って相手の要求を一方的に通してしまう事が物凄く多くなって今に至ってるみたいな話になったりもした。
結局ここに関しては一部の人には許してもらって少しずつ変えるという事で落とし込んでもらったのだけど、一部の人はやっぱり許してもらえないっぽくて、頑張って矯正はしてるけどその影響で自分の生活とか精神に少しずつ影響してるみたいな話になってくる。
・喧嘩の話
変わって男女の話。夫婦、カップルでケンカをした時に男側が暴力を振るうのは男側に問題があるみたいな話になった。かと言って女側が男を殴って良いかと言われたら多分それもダメで、話し合いで解決するのが一番いい、なんて話が妄言だから暴力は発生する。そもそも相手を理解させられるならわざわざリスクが生じる暴行なんてする必要は無い。何か理由があって、どうしても許せない事があったから手が出る、みたいな話だとは思う。
じゃあその許せない事のラインを引き上げたりとか、そもそも暴力を用いずに問題を解決できる能力が高ければ問題は発生しない、怒るのはその人の器量の問題じゃないですか?っていうのが昨日まで考えていた事だけどこれが少し変わった。
・暴力を振るわれた側が悪いとする
怒りが「相手からの攻撃を受けた際のリアクション」ではなくて「防衛反応」なら話がまた変わってくる。それなら「攻撃する側」が悪い。
そもそも相手が物凄い勢いで攻撃してくるならそれに対しての「防衛」をしないといけない。そもそも「防衛反応」を発生させるほど攻撃するのが悪いみたいな話にもなる。
「自分が怒らないといけないほど身の危険を感じた」のであればそれは怒りに正当性があるみたいな話になった。
・程度の問題
「それくらいで怒るなよ」というのはあまりにも傲慢すぎる。程度の問題でしょというのは解決に至らない。
・僕の言葉使いは防衛反応だった
結局僕の言葉使いが防衛反応の一種だったらそれをやめろと言われ、やめた結果今見たいな状況になってしまっているみたいな話だとしたら相当「マズい」
結局相手の言いなりにしかならないし、反論するのもめんどいしとりあえず返事しとけばいっかーくらいにしか思わないし、その場が丸く収まって事が済めば相手も満足するし雰囲気も悪くならないかー、ってのが今だけどこれは僕の領土を犠牲に公海を保守している状況で、そのうち僕がつぶれた時に公海すら無くなるんじゃないかみたいな話でもある。ここ最近で僕自身の領域が凄く狭くなっている事を実感するし、まだ間に合う範囲だから戻さないとなーと言うのを振り返りながら思ったりした。
怒りの種類は人それぞれで、それが攻撃手段だったり防衛手段だったりもする。僕にとってはこの記事が防衛手段でもあるから、そうであればこの記事は怒ってる事なのかもしれないし、このブログそのものが僕の怒りなのかもしれない。
「訴える」とはそういうことなのかも。暴力も言論も境目は無いのかもしれない。
僕は常に訴え続けている自覚はあるから、それが常に怒っている状態と言われたらそうなのかも。で、あれば「言葉使いをやめろ」と言われるのも分かる。
「本当に強い人は相手を許すことができる」「本当に頭が良いなら頭の悪い人にも分かりやすく説明できる」みたいな、強者側に過剰な負担を押しつけて自分は安穏と暮らそうとする主張、それこそ弱者による最大の復讐だよな
— 野田記号 (@semeion__) 2022年7月29日