ことばってむずかしい

昔は暇さえあればブログを書いてちやほやされていた僕ですが今ではその数もかなり減りました。相当減りました。

減らした理由はいくつかあります。何故か聞きたい人は直接聞いてね。

 

そんな訳でポケ勢はブログが大好きです。他のゲーム界隈で末端の人間が毎月ペースでブログを更新してるなんて光景まずありません。主語が大きいですがこれは事実です。

ブログ自体はとても素晴らしい文化です。なぜか。

・創作としては簡単な部類であるため(クオリティは問わない)誰でも書ける

・誰でも書けるということはたくさんの著者が生まれる

動画は作れる人が限られていますがブログはそんなことありません。少なくともレンタルチームの画像を貼ってそれぞれの使用感を1,2行並べればそれは構築記事になります。

 

ただし、ブログを書くということは自分で考えている事を言葉に落とし込まないといけません。これを言語化と言います。ブログを書く人の大多数はこの言語化を行うわけです。その言語化を行う際に用語という物はとても便利に働きます。

受け攻めスイッチ、なんかは用語な訳です。ただこれは起源である人と今現在を駆け抜けている人間で解釈が違うようで意見の食い違いがあったようです。

ただこれは当然起こるもので、言葉というものは時が経つにつれて意味が変わります。小学生でも分かることです。

しかし、用語で意味や解釈が違ったりしてしまうのは不都合が生じてしまいます。意味が変わるのは扱う人間が変わると避けられない問題ではあります。そこを曖昧にしてしまうと今回のような事件が起きてしまうわけです。過去と現在で意味が違うと過去のブログを振り返った際に何らかの不都合が起きます。何か上手い事を言える訳ではないですが、一つ例をあげます。

件のロップ軸と電磁迷宮が両方とも同系統の構築として受け攻めスイッチと呼ばれるようになることにイラつく人間は今すぐこの問題と向き合うべきです。そんな訳ないだろなんて言うのは辞めましょう。今この現象が起きています。なんならそのうちガルクレセドランが受け攻めスイッチと呼ばれ始めます。わりと本気です。というかカバマンダガルドも受け攻めスイッチになります。

そんな馬鹿げた話、ではありません。言葉とは何者かが正確に定義し、それを語り継がなければ意味は変化し続けます。この問題は自分が扱う構築を自分が捉えた姿として後世代に伝えていくために必ず向き合わなければ行けない問題です。

別に自分で一生懸命組み上げた思い入れのある構築が他者によって自分の認識とは異なるカテゴライズをされることに苛立ちを感じないのであればそれは構いません。ただ、わずかでも寂しいものがあるなら今すぐこの問題と向かい合うべきでしょう。

 

・どうすれば向き合えるの?

幸いにもポケモン界隈は発信行為がブログに留まらず動画・生放送などにも活動範囲が広まっています。なんなら今激アツのFrontierと僕がやらせてもらってる葉桜杯なんかは"今"を駆け抜けているプレイヤーが対戦を解説しているわけです。

そこにはブログ同様、対戦者の構築・プレイングを言語化している彼らプレイヤーの姿があります。そして、彼らが使う言葉、そしてその意味こそ大きな定義付けのきっかけとなります。

実況・解説という役回りはこの言葉使いにおいて妥協することはこういった文化を蔑ろにすることに他なりません。

僕自身は実況という立場に身を置いていますが、ここには自分ができる限り気を使っていますし、解説を一緒にしている三人とは偶に話し合っていますがもっと話し合うべきなんじゃないかなとか考えてます。

もし放送を、発信を見ていて用語が正しく扱われていないであれば、なおかつその問題をきちんと言語化出来ているのであればきちんとその証明をする必要があります。でなければその言葉はどんどん意味が変わり、自分で作り上げた物が、或いは尊敬する先人が築き上げた物が望まない形へと姿を変えてしまうのです。

逆に実況・解説者がこれに対しての提言を受けたのであればそれを吟味する義務があります。言葉がきちんと使われているかは必ず調査する必要があり、意味が過去と変わっているのであればそれを学ばなければなりません。

もちろん一人間が全ての言葉を正しく使うなど到底難しい話であるため誰かからの教えは必ず必要となってきます。それは恥ずかしいことでもなければ驕りでも無く、ポケモンブログ・動画・生放送という文化を尊重する姿勢であることに他なりません。

 

以上です。こんな事を考えながら日々実況・解説を行っています。

 

国語を学び直したい。